アーカードがロンドン市街の血液という血液を喰らおうとしているそのとき、少佐とドクは自分たちの勝利を確信します。
「彼は城であり 彼は運動する領地だ 暴君の意志が率いる死の河という領民達だ」という少佐のアーカード観はホント言い得て妙。
そんなアーカードと戦う少佐は自らを「私には何もない なぜなら私は人間だからだ」といいきります。
ですがアーカードが再三「化け物をを倒すのは人間だ」と言っていることをかんがえると、この認識が如何に重要な意味を持つかはあきらかです。
そして過去500年の間にアーカードに戦いを挑んで「人間」を全う出来た人間が一体何人いたのか…
と、ここで少佐の過去が語られます。
舞台はおそらく、1945年4月のベルリン市街戦。
ソ連兵たちが「うらーうらー」と大暴れしております。
少佐なんかチビですから顔面まともに蹴られ、あげく銃弾ぶち込まれて瀕死です。
その少佐の元に息絶えたナチス兵達の血液が集まってきます。
このときの少佐もあきらめを拒絶したということなのでしょうか。
吸血鬼になるチャンスがあったということなのですが、これを少佐はこばみます。
「他者との命の共合 生命の融合 精神の統合 吸血鬼の本質 何とも素晴らしい それはきっと素晴らしいのだろう きっとそれは歓喜に違いない」と認めつつも「俺の心も魂も命も 俺だけのものだ」
「私は私だ」と宣言するあたり、ほんとかっこいいよっ!!
この吸血鬼の本質のくだりを読むと、かの「エヴァ」とイメージかぶりまくりなのですが、深読みするなら、この少佐の姿勢はヒラコーの「エヴァ」に対する一種の回答のように思えます。
結局は吸血鬼になることをこばんだものの、大尉とドクがかけつけて少佐は一命をとりとめ、次の戦争へと踏み出したということのようです。
さて話は現在に立ち返って、シュレディンガー「にゃー」とスマイルで登場カットをはさんで、更に少佐の語りは続きます。
ゼロ号解放で全ての命を放出したところに「人でなし」となった神父や執事が斬り込んでも勝算はない。
一人きりでもアーカードの強さはハンパないというのです。
しかも再び血を吸ってしまえば元の木阿弥。
しかし実はその瞬間こそが「人間」がアーカードを倒す切り札をきるときだということがあかされます。
「古今暴君は己の傲岸さ故に毒手をあおる」
う~ん…引っぱるなぁ(苦笑)
その頃セラスは大尉と対戦中。
大尉の強さもハンパなしのもよう。
(大尉は狼男らしいのですが、狼化したときの横顔はなんかワンコっぽいですよね。しかも白!!アーカードの黒ワンコと黒白対決みてみたかったなー)
ワンサイドゲームですっかりめためたのセラス。あきらめを拒絶した女セラスが思わず「だめだ 強すぎる!!」と、くじけかけているところでひとまずおしまい。