ところで本日はおまけ。
そもそも第二次アシカ作戦は「戦争 krieg」なのか?
「『戦争』に投入される武器は、戦いの中で壊され、消耗していくものだ。しょせん兵器は使い捨てられるもので、より多くの補給を用意できた方が勝利を収める」(文献P90)という視点にたつと、ミレニアムのもろさも自ずと見えてきます。
まず後方からの武器の補給は準備されているのか?
作中からはその気配は読み取れません。(後に明らかになるのですが、どうやら「一切合切担いで飛んできた」というカンジです。)
では兵力の補給はどうか…
2巻の円卓会議で明らかにされているように、ミレニアムがつくる吸血鬼は、童貞・処女にかみついても、相手をグールにするだけで吸血鬼化できません。
たとえ戦場でグールを増やしても、吸血鬼に比べれば戦力としては格段に落ちることは、バレンタイン兄弟の襲撃の際に明らかになっています。
唯一吸血鬼を「生産」することが出来るのがドクたちらしいのですが、それでも「お湯をかけたら3分で♪」というわけには勿論いきません。
4巻でアーサーがインテグラに語るように吸血鬼との接近戦は勝ち目がないにしても、そもそもヘルシングの存在自体が「吸血鬼は決して不死ではなく、人の手で倒せるものだ」ということを証明しています。
結局は、やっと作った大隊の吸血鬼1000人を、グールで補いつつも、使いつぶしていくよりほか、あまり補給は期待できず、まして島国イギリスにおいては長期戦の展開は不可能ということになります。
それでも一騎当千、1000人×1000で100万人だと演説の中で少佐は述べているわけですが、戦艦大和を建造した戦前の日本や、90式戦車の4倍近くもある超重戦車マウスや80㎝列車砲をつくったヒトラー・ドイツのように「周囲をすべて敵に回して四面楚歌となった国は、量より質の「無敵兵器」にすがりつきやすい」(文献P93)という歴史に学んでいれば、この演説を聴いた時点で第二次アシカ作戦の本質を理解してもおかしくないわけです。
後方から(ないしは戦場で)の武器や兵力の十分な補給がみこめないということから、そもそも少佐は「勝ち抜く」こと、「生き残る」ことを期待しておらず、この作戦が「戦争」というよりは、むしろ持てだけ武器をかかえてつっこむ「特攻」に近いと言うことが、作戦を開始した時点で実は明らかになっているということ。
そして少佐がこの戦いで部下の吸血鬼たちに人の生き血と、(5巻で述べられているように)欧州への帰還を約束していますが、彼らに「未来」を約束してはいないということ。
以上が今回の結論であります。(お粗末っ!)
(追記)チェーダース村の事件…あの神父さんは本人のセリフを信じ
るならミレニアム製吸血鬼じゃなかったんですね。今頃気が
ついた!(恥)(20110112)