冒頭アーカードが100年前、ドラキュラ伯爵だった時、ヴァン・ヘルシングを初めとする人間たちに敗北を喫したときの様子が繰り広げられます。
ここで「彼女の聖餅跡も消えて失せた」というくだりがあるのですが、これはミナ・ハーカーのおでこにヴァン・ヘルシングが聖餅をあてたとたん、彼女の額を焼きながら食い込んだときのあとをさしています(文献22章)
つまりこの傷跡は、ミナが伯爵に血を吸われ、伯爵の血を吸ったことで穢された(吸血鬼化しつつある)ことの証であったわけです。
「聖餅」とは作り方はいろいろなのですが、ようするに「キリストの体」という扱いの、粉もん。ヴァン・ヘルシングはウエハースのような聖餅を、割ったりしてお清めの便利グッズとしてかなり多用していました。そののりで、ミナのおでこにもあてちゃったんですよね。
さらに「彼女はおまえのものになんかならない」と伯爵は告げられるのですが、個人的にはここ注目!!!(爆)
ブラム・ストーカー版第3章で、ジョナサンが3人娘にチューされかかるときに、割ってはいった伯爵と彼女たちの会話。
「あんたは決して愛さなかった。愛することがないのさ!」
「いいや、私は愛することができる。昔のことを考えれば、それは分かるはずだ。」というやりとりがあるのですが、ミナには伯爵は自分の血を飲ませているのですが、ルーシーに対しては伯爵は自らの血を飲ませたという記述がないこと、(以前述べましたが異性の血を体内に入れることは、ここでは「契る」こととほぼ同義)そして後に3人娘がミナの前にあらわれ「妹よ(sister)」と呼びかけているのを見ると(第27章)、かつては3人娘もそうであったように、(ヴァン・ヘルシングを含め人間の男性たちの崇拝を集めていたのと同様に、)ミナが伯爵に愛されているに違いないと想像してましたから、もう「おまえのもの」は単に「お前の手下」とか「お前の仲間」ではなく、それ以上の意味に勝手に脳内変換していました(爆)
ところでこの伯爵の最期のシーン、HELLSINGとブラム・ストーカー版とではかなり趣が異なります。
詳細は実際に読んで頂くのが一番なのですが、最も大きく異なる点は、ブラム・ストーカー版では伯爵は、ひとりに刃物によって首を切断され、もうひとりに心臓を突かれ一瞬のうちに塵になってしまったということ。
あっという間に決着がついたので死に際(?)に会話するひまなんかなかったわけです。
後にヘルシング機関に奉仕してもらうためには、塵になられては困るわけですが、それにしても…伯爵、顔なんかほとんど見えてないのですが妙に色っぽい!!いやホント塵にならなくてよかった…(笑)
ここでアーカード、夢から醒めます。
昔のことを思い出して、心かき乱されていることを自覚して、そんな自分にいらだつ様子が何とも…♪
(それにしてもアーカードの棺は麦の穂巻きみたいに厳重梱包なのに、セラス入りの棺はちょっと扱いがぞんざいかも…笑)
いよいよアーカード組のイギリス帰国となるわけです。
(つづく)