昨日は『ドラキュラ』1892年説をプッシュしたのですが、実はこの説にも大きな弱点があります。
第14章9月26日のドクター・シューワードの日記の「残念なことに、あのシャルコーは、今はもういない(…alas that he is no more,…)」というくだり。(*)
フロイトも一時師事した、催眠術で有名なフランスのシャルコー。実は死んだのは1893年8月16日。
「もういない」も、そこだけみれば「もう死んだ」と理解するのが普通なのですが…
催眠は異常か、誰にでも起こるものなのかというナンシー学派との対立で1989年に国際学会でやぶれ、シャルコーの学者としての権威が落ちたコトを受けての、このセリフか…?と実はちょっと考えてます。
つまり「 alas that he is no more the great Charcot(残念なことに、彼はもう「偉大なシャルコー」ではない) 」。
…さすがにちょっと無理がありますかね(汗)
(英語強い方に、その辺是非ご教示願いたいです。)
とりあえず、突っ込まれると弱いおおきな弱点はありますが、現時点ではやはり『ドラキュラ』1892年説が私の主張です。
ただし創作ノートから、ブラム・ストーカーはやはり、執筆準備段階においては1893年を想定していたという説を否定するものではありません。
今回月齢まで引っぱってきましたが、そもそも夜のシーンで月明かりは、舞台の照明のようなもの。情景を描く上では不可欠な要素です。
しかしHELLSINGで満月が大活躍(笑)しているのと同様、こまかな月齢までは考慮されていないのが実際のところだったとは思うのです。
ただし、満月と新月はおおちがい。
1893年を舞台に大筋を固めた後、執筆を開始して情景を書き込む中で、やはり8月11日のルーシーが襲われる重要なシーンで、満月と新月の矛盾が生じたために、これを解消すべく苦肉の策として、1892年にスライドしたのでは…というのが今回の私の妄想です。
やはりフィクションにリアルを追求すると大変だということですね。
『ドラキュラ』年代設定はなかなか結論がだせないだけに、今回妄想しがいがありました。
私は英語も苦手ですし、英文学を専門に学んだ経験もありません。
その筋にお詳しい方、是非ともご教示下さいませ。
それから、ここまでお付き合い下さった皆様に、心から感謝!!!
*Then you are satisfied as to it. Yes? And of course then you understand how it act, and can follow the mind of the great Charcot, alas that he is no more, into the very soul of the patient that he influence.