このところ、ブラム・ストーカー版の邦訳を新旧2冊ならべて、付箋貼りつつ、読んでます。
訳者が変わると、こうも印象が変わってくるものかと、びっくりの連続です。
ところで、そもそもこの『ドラキュラ』の一連の出来事は一体西暦何年の設定なのか…HELLSINGのなかでしばしば「100年前」と言っているこの時期。ちょっと気になったのが、興味をもったきっかけです。
1893年に設定しようとしていたという説があるようなのですが、最終的には(出版される段階では)設定は1893年ではないんじゃないか…というのが今回の話。
まず1893年説の根拠はブラム・ストーカーが残している創作ノートにあります。(そこには、日付や汽車のタイムテーブルなど、かなり綿密につじつまを併せようと苦心するストーカーの姿があります。)
つまりノートの中でジョナサンが3人娘にキスされそうになるくだりが5月15日(月)とされており、この日付が最終的に作品において採用されているということが根拠のようです。(文献2参照)
ところが、文献2第7章の注2によんでみると…「八月八日」が月曜日である年でなければならないということになる…とあります。そこでちょっと調べてみると(*)…あれれ?1893年8月8日って火曜日だぞ…
たしかに、ミナの日記や、新聞の切り抜きから8月8日(月)にドラキュラがイギリス上陸を果たしたというのは妥当なようです。(**)
そこでまず「8月8日が月曜日の年」を調べてみることにしました。
ただし、今回は第6章に登場するジョージ・キャノンの墓碑の「1873年7月29日、輝かしき復活を望みつつ〜」のくだりから1873年以降に限定すると、1881年、1887年、1892年、1898年、1904年、1910年…ただしルーシーに、血液型の確認もなくバンバン輸血していることからやはり20世紀まで時代をくだらないと仮定すると(文献2第10章注5)、 1881年、1887年、1892年、1898年あたりが有力になってきます。
でもこれじゃまだ、今ひとつ絞りきれてません…
もうちょっとヒントないかなぁ…
(つづく)
*暦に関しては「こよみのページ」様を利用させていただきました。
**『デイリーグラフ』の切り抜きは8月8日付けにもかかわらず、記事の中に8月9日の記述がありますが、『ドラキュラ』のなかで、日付などのミスは他にもあることから、今回は本文の内容を重視しました。