前回からさらに引き続き、アンデルセン戦。
アンデルセン神父…いうことは神父っぽくても、やることはやっぱり神父っぽくなかった!!の巻(爆)
冒頭、アンデルセン、笑いながらゴリゴリとアーカードの首切断。
バンパイヤの退治方法として、心臓をつくのと、首を落とすのは、ブラム・ストーカー版ですでに描かれているようにワンセットではあります。
(さらに口にニンニク詰めるのがフルコース)
ですが、これは宗教的にはどうなんですかね。
ほとんど死姦と同義にとれてしまうのは、私だけ??(汗)
このあと今度はセラスを追跡開始するのですが、この時のセリフ「チリはチリに(DUST TO DUST)」はキリスト教の葬式の時の祈祷の文句、「土は土に、灰は灰に、チリはチリに(earth to earth,ashes to ashes, dust to dust.)」の一部かと最初思ったのですが…実はこれ、ウィキによると聖公会(イギリス国教会)の祈禱書からの一説によるらしいと判明。
だとすると、ローマ・カトリックのアンデルセンのセリフとしてはおかしいと思ったのですが、さらにさかのぼって調べると、元を正せば旧約聖書の創世記からきているようです。
神様、塵からアダムを作った後、結局エデンの園からアダムとイブを追放する訳ですが、その時神様「塵にすぎないお前は塵にかえる」と告げています。アンデルセンは多分ここの所を引用してるんでしょうね。
で、セラスは死の恐怖にさらされつつ、アーカードの首抱えて逃げ惑っていよいよ追いつめられた時に、
アーカードの血のメッセージを受け取るわけです。(このシーン大好きだ♪)
吸血鬼が、吸血した相手に自らの血を飲ませるというのは、ブラム・ストーカー版でミナに対して行われた、いわゆる「吸血鬼の血の洗礼」。
でも『HELLSING』ではもうすこし踏み込んでて、セラスがアーカードのを「マスター」と呼んでいることからも想像すると、吸血鬼に血を吸われて吸血鬼化した場合、自由意志は保持しつつも師弟関係のような上下関係の下位に位置づけられるみたいです。これをさして「使役されるための吸血鬼」といっているとすれば、「本当の意味での我々の一族」「ノーライフキング」になるために「血を飲め」ということは、アーカードがセラスのことをよほど「かっている」ということなのかと…
(バーミンガム事件でもでてきた、この「ノーライフキング」といういいまわしは、私は『HELLSING』ではじめてしったのですが、なんだかカッコよい♪でも英語圏の人には通じないんだろうな…)
結局飲まなかったセラスは「バカ者」「臆病者」といわれるわけですが、
このへんのやりとりも、アーカードのセラスへの「肩入れ」みたいなものが伝わってきていいですよね。
ただセラスと弁護するなら、「まぁどうせならそういうことは、もうちょっと落ち着いたときに言ってやれよ」と思わないでもないです(笑)
そしていよいよ姐御登場!!
ヤッパリ左利きなの?
神父さんに「売女」よばわりされるは、部下はやられるは、殺されかかるは、大変な目にあっている間にアーカード復活、アンデルセン退却。
(そういえば「ベイベロン」って何語なのかすらよく分かりませんでした〜)
ここで、アーカードがヘルシング機関とおよそ100年の付き合い(?)であることが判明。
ちなみにブラム・ストーカー版は舞台が19世紀末ですから時間的なヒアタスはほとんどないようです。
でもヘルシング機関は英国王立だけど、ヴァン・ヘルシングってアムステルダムに住んでたはず。オランダ人かどうかはよく分かりませんが爵位があったようではないんだけどなぁ…100年前のドラキュラ退治でヴィクトリア女王からヴァン・ヘルシングが爵位もらって、イギリス移住、ヘルシング機関設立…という流れなんだろうか?
そういえば、アンデルセン神父の右ほおの傷あとって、再生者でも再生してないってことは、生まれつきの再生者ではないことの証なんだろうか??神父が聖書をあんな使い方するの??
セラス、ビックリゲロって、まだ吸血鬼化が完全じゃなくて、結構普通にモノ食べてるの??
…などなど、多くのナゾを残しつつ、次巻へつづく…(笑)
なおこのあと2巻以降については、先日図書館で手に入れた『ドラキュラ 完訳詳注版』新妻昭彦+丹治愛をちゃんと読んでから、精読したいと思います…