HELLSING6巻第5話でフランス、アミアンにおいて、マクスウェルのもとに参陣した修道騎士会の面々。
御衣装は、はっきりいってKKKにしか見えませんが、実在した(している)修道騎士会が名乗りを上げていると言うことで、ウィキにもお世話になりつつちょっとメモ。
ちなみに名乗りを上げているひとだけ、頭巾がちょっと違いますが、これは各会・各団の長ということでしょうか…
<クールランテ剣の友修道騎士会>
おそらく「クールラントの剣の友修道騎士会」ということ。
もともとラトヴィア人が住んでいたクールラントKurland(現在のラトビア西部地方)に遠征軍が入り、リガ市が設立され、以降ドイツ植民者をまもるために1204年に設立された修道騎士会。
(十字軍とか修道騎士会というと「エルサレム!!」とか「レコンキスタ!!」とか連想しがちですが、そういう他の騎士会とはちょっと毛色が違います。)
当時50人ほどの騎士と100人を超える修道士を抱えるまでに成長していたものの、1237年にはリトアニア人との戦争でその過半数が戦死。生き残りはチュートン騎士団に合流することになります。
正式名称は「リヴォニアのキリストの兵士修道会」(Fratres Militie Christi de Livonia・Schwertbrüderorden)だそうですが、彼らが「ドイツ十字の下に剣」ないしは「2本の交差した剣」の記章をつけていたことから、剣の兄弟会(剣友修道会・刀剣騎士修道会・リヴォニア帯剣騎士団)などとよばれるようになったとうことらしいです。
そういえば、団長の頭巾、顔のところは、剣の友修道騎士会の記章が、ほぼそのまま、あしらわれていますね。
その後16世紀には剣の友修道騎士会は世俗化して最後の団長はそのままいのこってクールラント公国をおさめていくわけですが、こちらはプロテスタント(ルター派)を受容しているらしく、今回の十字軍にかけつけた面々は当地では少数派ということなのでしょうか?
(その辺、お詳しい方がいらしたら、是非ご教示を〜!!)
それにしても、340人、クールラントからかけつけたのでしょうか??
目立っただろうなぁ…苦笑